夜になるとまだ冷え込む3月下旬、それでもいつもの年より暖かいせいか、今年は少し早目に桜が満開になった。
産まれ育ったこの街を流れる川沿いに桜並木がある。
コンクリートで護岸されたその川は、数キロ程下ると、コンテナと倉庫が立ち並ぶ隣り街の埠頭へと続いていた。
数十年前までは、大雨が降ると時々氾濫していたようだが、私が子供の頃は水かさが減り、浅く汚いドブ川だった。
小学生の頃、気の合う同級生の男の子達と所々ある護岸の錆びたはしごを伝い、水辺まで降りて隣の区まで歩いて遊んでいたのを思い出す。
ある時は男の子の一人がはしごから手を滑らし、大人の背丈ほどの高さから水際に落ちてしまった事があった。バランスを崩して落ちた男の子は、右目の眉の下に数針縫う怪我をしてしまった。
私も膝から下はどぶ水が跳ね、スニーカーも下水臭くしてしまい、家に帰ると母に注意された。
その男の子の縫い傷は、夏、顔が真っ黒に日焼けした時も、傷の部分だけ殆ど日焼けせずに元の肌色のままだった。同じ中学校に通ったが、時々その縫い傷を見る度に、怪我をした日の事を思い出していた。
あれから15年ほどの月日が経ち、いつからか護岸は桜並木となり、毎年この季節になると大勢の人達がこの川を訪れるようになった。
週末の今日、私は地元の駅で彼氏と待ち合わせをし、今年も桜並木を見にきた。
3年前のちょうどこの時期、二人の交際は始まった。初めてのデートの日の帰りにも、二人でこの桜並木を見に来た。
川沿いに着くと、護岸は既に大勢の花見客で賑わい、幾つもある屋台は、仕事帰りのサラリーマン達やカップルでどこも満席のようだ。
片手に缶ビールを持ちながら歩く花見客も多く、あちこちから聞こえる大きな笑い声と騒ぎ声で、辺りはとても騒がしい状態になっている。
ふと見ると私達と同年代と思われる1組の夫婦が、幼い子供をベビーカーに乗せ、桜を見ながらゆっくりと歩いていた。
ベビーカーに乗るその幼い子供はまだ1歳にもならない位だろうか、片手に小さなぬいぐるみを持ち、時々元気そうに両手を動かしていた。
その愛くるしい子供の様子と、母親がベビーカーのブランケットを掛け直しながら、優しく子供に話しかける姿が微笑ましく、私は少しの間その親子を見つめていた。
私の目線に気が付いた彼も、微笑みながらベビーカーを見つめている。
喧騒の中、その親子が私達の横を通り過ぎようとした時、少し強い風が吹き、桜の花びらが一斉に辺りに舞った。
花見客の歓声の中、桜吹雪は目の前のベビーカーにもたくさん落ちた。
直ぐ横を歩いていた私の彼は、夫婦に会釈をしながら「お顔にもお花が付いちゃったね」と微笑み、子供の顔から花びらを取ってあげた。
夫婦は「ありがとうございます」といい、穏やかな人柄を感じさせる表情でベビーカーの中に何枚も落ちた花びらを取り始めた。
彼は「お子さんお幾つですか?」と尋ねた。
母親が「1歳です。丁度今日誕生日で」と嬉しそうに答えた。
彼はベビーカーの横にしゃがみ、「お誕生日おめでとう。お花もお祝いしてくれたね」と優しい顔で子供の頭をなでた。
夫婦は嬉しそうに微笑み、彼と子供の事を見つめている。
少しの間、私達は子供をあやし、夫婦に会釈をして歩き始めた。
私は子供をあやす彼の姿が印象深く、意識はしていなかったが、彼が幼い子供に接する姿を初めて見た気がした。
遊歩道は時折風が吹く度に花びらが舞い、それはいくつも彼のコートの肩にもとまった。
私はその花びらと、子供をあやした後、何故か口数が少なくなった彼の後ろ姿を見ていた。
暫く会話の無いまま歩いていると、彼が微笑みながら振り向いた。
右の眉の下に、小さな縫い傷が残る彼の瞳に、近い未来、この桜並木をベビーカーを押しながら歩く私達の姿が優しく映っていた。
私は微笑み返し、彼の手をつないだ。
私達は遊歩道から橋の途中で立ち止まり、子供の頃より随分と綺麗になった川と桜並木を見つめた。幼い頃より少しだけ川幅が狭く見える気がした。
喧騒の中、浅い川の水音ははっきり聞こえるのが不思議だった。
橋の上から見下ろす川は穏やかにゆっくりと流れ、水面は月の光と街灯のライトできらきらと反射していた。
そして風で散った桜の花びら達を、いくつもの灯台が連なる、隣り街の埠頭へと運んでいった。
end
by_hearts