2016年10月21日金曜日

パープルハイウェイ

仕事を部下に任せ、ほぼ定時にオフィスを出た私は、車のスターターボタンを押し運転席の窓を開けた。

地下駐車場には自分の車のアイドリング音と、天井に張り巡らされているダクトからの空調音だけが響いている。

彼との待ち合わせ時間まで、後、2時間半ほどある。途中の渋滞がなければ、約束の真鶴のホテルまで2時間掛からずに着くだろう。

彼は昨日から、出張で真鶴に宿泊している。

妻子のいる彼と関係をもって1年になる。

いわゆる中間管理職の私と、直属の上司である彼は、社内外問わず二人で打ち合わせをする機会が多く、それがいつしか男女の関係となっていった。

世間では人気アイドルの不倫が発覚して連日テレビを賑わせている。同僚や部下がその話題を面白おかしく話しているのを聞く度に、後ろめたさと情けなさが混ざったような気持ちになるのであった。

車のアイドリングも落ち着き、ルームミラーで自分の顔を見つめる。

仕事では部下に口うるさく指導しているが、プライベートでは理不尽な行動をしている自分に情けない気持ちのまま、私は地下駐車場を出た。

平日の夕方にも拘らず、都内の道は順調に流れている。連続したカーブの続く首都高速を抜け、一路真鶴に続くバイパスを走った。

彼との約束の20分前にホテルに着いた。

私はホテルの前に車を停め、少し歩いて周りの景色を見た。

ついさっき迄、都会のオフィスビル街にいたのが嘘のように、静かで素朴な街並みが目の前に広がる。

短い夏が終わり、秋の気配を感じさせる涼しい風が、上着を脱いだノースリーブの肩に冷たく、その風は何故か孤独感と心寂しい気持ちにさせる。

後ろを振り返り車を見るといつの間にか彼が車の横に佇み、こちらを見て微笑んでいる。

駅の近くの店で食事を済ませ、私達は彼の泊まるホテルへ向かった。

いつもと違う土地での密会とアルコールのせいか、彼は車の中から高まる欲情をあらわにし、信号で止まる度に助手席から手を伸ばし、私の腿をまさぐった。

彼が私との関係を続ける理由が身体だけが目的なのか、本心を確かめるすべもなく1年の月日が流れていた。

以前、私から1度だけ、「今日は食事が終ったら買い物に付き合ってほしい」と言った事があった。その日の彼は食事の間中不機嫌な顔をし、私の話も半分どうでもいいような態度だった事を思い出す。

しかし、身体だけが目的ではないと言われて、何がどうなるのか。妻と離婚させてまで、彼と生きていくような気持にはほど遠い自分がいる。

彼はいつもよりも長く私の身体を求め、私達はそのまま眠りについた。

冷えた身体に目を覚ますと、午前3時半を過ぎていた。私は身支度をして彼に声を掛け、そしてホテルを後にした。

誰一人歩いていない町に、たった1軒だけあるコンビニエンスストアの明るさが孤独感を少しだけ紛らわせてくれる。

海沿いの国道からバイパスに入り、目が覚めきれないけだるさで、ボーっとした頭のまま車を走らせた。

もう直ぐ夜が明けるバイパスに他の車の姿は見えず、私の車のロードノイズだけがシーンとした車内に響いている。

暫く走っているとサイドミラーに一点のライトが映りだした。

二輪車と思われるそのライトはけたたましい爆音と共にどんどん私の車に近づいてくる。

私は二輪車が真後ろに来る前に車線を左に変えた。

あっという間に後ろに来た二輪車は私の車の横に並び、抜かすことなく並行して走りだした。

私はスピードを落とし後ろに下がったが、二輪車はスピードを合せ横に並ぶ。

どうしてよいか判らず横を見ると、バイクには二人の少年が乗っていた。

見るからに「暴走族」と呼ばれる出で立ちの彼らはピタッと私の車の横についた。

運転席の少年は数秒間腰を上げ、立ったままの姿勢で右側の海岸線を眺めていたが、スッと座ると私の方に顔を向けた。

私と目が合うと何故かその少年はニコッと微笑んだ。

少し長めの茶髪をなびかせ、上下スウェット姿のその少年は、まるでアイドルでも通用するかのような顔立ちと無邪気な笑顔を見せ、その屈託のない瞳は、暴走族に対する世間のイメージである「反社会的」、「暴力」等とは無縁に感じてしまうほどであった。

敵意の無い少年の表情にホッとした私は二輪車の後部座席に目を移した。

後ろに座る少年は、運転席の少年と反し、黒髪の短髪に自分達のチーム名を刺繍したいわゆる「特攻服」姿の目つきの鋭い少年だった。

少年は左手に金属バットを握り、反抗的な鋭い目つきで私をじっと見ていた。

その少年と目が合った瞬間、世間のイメージ通りである彼らの危険な部分を感じ恐怖を覚えた。

私も周りの友人達と同じ位の歳で結婚していたら、彼らと同年代の子供がいたかもしれない。

私はどうする事も出来ず、速度を保ったまま走っていたその時、後方からサイレンの音が響き渡った。

警察車両のサイレンだった。

警察車両はサイレンと共に拡声器で少年達に停止するように促し始めた。

私は少し速度を落とし、少年達がどうするかを見ていた。

運転席の少年は目視とミラーで警察車両の位置を確認しながら、空ぶかしでアクセルを開き、マフラーから彼ら独特のリズムを発しながら走行し始めた。

自分達の呼びかけに従わないと判断した警察車両の拡声器から怒鳴り声が響き始める。

少年達は臆する事無く今にも停止してしまうかと思う程の低速で走り、バイクの前に出て停止させようとする警察車両の行く手を阻んだ。

私は1度車を停め、彼らとの距離を保ちながら走り続けた。

拡声器からは警察官の激しい怒鳴り声が響き続けている。

彼らは必死で追い抜こうとする警察車両の行く手を、空ぶかしを続けながら、巧みにひらりひらりと左右に移動して阻み続ける。

後部座席の少年は時折金属バットを警察車両のバンパーの前に出し、それ以上自分達に近づかいないように威嚇している。少年達のバイクと警察車両との距離は僅か数十センチに感じ、後ろから見ていると接触しているかのように見えるほどだった。

その警察車両と少年達の姿は、夫の裏切りを察し、真実を暴こうと怒り狂いながら叫び続ける妻の手から、ずる賢く逃げ回る自分の姿と重なった。

世間では「不良」、「柄が悪い」等、悪名高い彼らだが、確実に一人の人間を傷つけ続けているという点では、私の方が悪(あく)なのかもしれない。

その攻防は10分近く続いたが、あるインターチェンジが近づいた時、警察車両はサイレンと赤灯を止め、速度を落としバイパスを降りて行った。

何故追跡をやめたのかは不明だが、少年達は後ろを振り返り空ぶかしをやめて走り出した。

時折何か会話をしながら低速で走っていた彼らだったが、突然爆音と共に速度を上げた。

そのけたたましい爆音は先程までの緊張で目が覚めた私の鼓膜に突き刺る。

そして耳の奥に軽い痛みを感じた瞬間、心臓の鼓動が一度ドクンと大きく波打ち、私はとっさに両手でハンドルを握った。

ハンドルを握り直した時、左手につけていた彼から貰ったブレスレットが手首から肘の方へ動いた。

そのブレスレットの冷たい感触は、私の肌に這わす彼の唇を思い出させ、私は右手で留め具を外してそっとブレスレットを助手席に置いた。

つい数分前まで、ずる賢い私を彷彿させた少年達のバイクは、少しずつ私の車から遠ざかって行く。

私は何故か速度を上げ、彼らのスピードと同調して車を走らせたくなった。

真っ直ぐに続くバイパスには少年達のバイクと私の車しか居ない。

暫くの間、私は運転席の窓を開け、彼らと同じ風を感じた。

その間何を考えていたのか、それとも何も考えずに走っていたのかも判らない。只、1、2度、助手席に置いたブレスレットを見つめた気がする。

彼が眠るホテルから遠ざかるほどに、彼への気持ちが薄れていく気がした。

私は大きく息を吸って前方を走る少年達の後姿を見つめた。

少し冷たく、海の香りがする風に満たされた私の心は、爆音を奏で走り抜ける少年達と共に、夜が明けたばかりの薄紫の空に溶けていった。

end

by_Hearts