2016年8月19日金曜日

一日花

仕事の帰り道、駅の改札を出たところで電話が鳴った。

電話の相手は大学時代からの親友「リエ」からだった。

「まさみ?今度の土曜日花火見に行かない?彼氏来るから紹介するよ」

少し男勝りでせっかちなリエらしい急な誘いだった。

「うん、いいよ。行こう、行こう」

最近忙しい日が続き、息が詰まっていた私は一つ返事でOKした。

「洸太も一緒に4人で行こうよ」

「えっ?!洸太と?」

「うん。いい機会だからさ、もうまさみの気持ち伝えちゃえばいいじゃん」

私は一瞬返答に迷った。

大学時代からの友人「洸太」は、私が彼に想いを寄せている事に気付いていない。そして、洸太の心にいつも「リエ」がいる事をリエは知らなかった。

私と洸太は大学卒業後も、偶然近くに住んでいて、駅で2つ離れた距離だった。

私達は時々お互いの地元で待ち合わせをして食事をした。食事と言っても、カジュアルなレストランや、時には小奇麗な居酒屋で、同性の友達のような雰囲気で時間を過ごせる関係が続いていた。

私が洸太を好きになったのは、大学を卒業してからだった。素直で真面目で、少し鈍感なところもあるが、そんな洸太にいつしか惹かれていった。

でも、ある時、洸太から「俺、リエの事好きなんだ。。」と相談されて以来、私は自分の気持ちを伝える事ができなくなってしまった。そして洸太に口止めされ、その事をリエに話せずにいた。

「わかった。洸太に連絡してみるよ。」

私はリエとの電話を切り、複雑な気持ちのまま洸太に電話を掛けた。

「洸太?私。まだ仕事中だった?」

「まさみ?大丈夫だよ。どうした?」

「今、リエから電話があって、明後日、江の島の花火大会一緒に行かないかって言うんだけど。。」

洸太の気持ちを知っている私は、後ろめたさからか少し声が震えた。

「花火大会?あー、そうか、やってるよね。行けるよ、特別用事なかったし。リエと誰が来るの?」

洸太の問いに答えるしかなかった。

「うん、彼氏が来るみたい。何か私達に紹介したいんだって。。あと、私と洸太だけ。」

電波が途切れたかのように電話の向こうが静かになった。

思ったよりも長い沈黙に耐え切れず、私は洸太に謝った。

「ごめんね。どうしようかと思ったんだけど、リエがあまりにも乗り気だから断り辛くなっちゃって。。でも、嫌だよね、洸太用事があるって断っておくよ。」

「洸太行かないなら私も行かないし。。」

私は、リエと彼氏を見れば、洸太の想いが冷める事を心の何処かで期待しているようで、自分に嫌悪感を感じた。

「いや、行くよ。まさみは必ず来るでしょ?急にドタキャンするなよ。そしたら俺、最悪だからな(笑)」

洸太が笑いながら返答したので私はほっとした。

「よく考えたらあれか、、まさみが来れなくなったら俺も行かないよ。まさか3人って変な感じというかお邪魔過ぎるもんな(笑)」

「大丈夫だよ。私も行くから。車で行こうか?確か駐車場あるし。早目に着けば停めれるよ。久しぶりにドライブしようよ。」

「そうだな。そうしよう。帰り電車混んでたら暑いし」

洸太はリエの彼氏が来る事を忘れたかのように明るい声で言った。

「私の車だすよ。飲みたいでしょ?」

当日の待ち合わせ時間を決め、私達は電話を切った。

私は洸太と少しだけ遠出して二人で過ごす時間が出来た事が嬉しかった。只、当日はリエの彼氏と合わなければならない洸太の辛い現実を想像し、洸太の気持ちが少しでも落ち込まないように、どうやって接してあげればいいのか、その事が頭から離れず、あっという間に週末を迎えた。

当日はお互い遅れる事無く待ち合わせができた。途中リエから電話が入り、彼女達も車で来るとの事だった。

順調に流れている第三京浜を抜け、私達は湘南に向かった。

洸太は少し髪型を変え、服や靴も新調した出で立ちだった。それはリエの彼氏に対する、内に秘めたライバル心のようにも感じたが、アパレルを職とする、洸太らしい都会的でスタイリッシュな出で立ちだった。

「今日は一日、解散するまで私が洸太の彼女役ね。リエが彼氏連れてきて洸太可哀想だから(笑)」

助手席に向いて言う事が出来ず、所々空に低く広がる入道雲を見ながら私は言った。

「そうか(笑)、でも彼女にだったら花火見ながらキスしたりしてもいいんだよな(笑)」

純情な洸太らしい照れ隠しの返事だった。

「それは別(笑)」

私も笑いながら答えた。

途中の渋滞にあう事も無く、私達は予定通り、夕方のまだ明るい時間に江の島に着いた。

毎年恒例の大きな花火大会という事もあり、既に大勢の人で会場周りは賑わっていた。運よく駐車場もまだ空きが多く、この分ならリエ達もスムーズに停められそうだ。

リエ達との待ち合わせの時間まで1時間ほどある為、私と洸太はお土産屋さんを回り時間をつぶした。

「そろそろ待ち合わせの場所で待ってようか?」

私がそう言うと洸太は「うん」とだけ返答した。心なしか洸太の顔が緊張している。

私達が待ち合わせの場所に着いてから数分後にリエ達が来た。

リエは最初に私の事を彼氏に紹介した。

「大学からの親友、まさみ」

リエの彼氏は「初めまして」と、陽に焼けた顔と不自然とも見える真っ白い歯を見せて微笑んだ。

どちらかというと細身で背も高めの洸太とは見た目のタイプが違い、ラグビー選手のような、背は低めだが、筋肉質のガッチリした体型の彼氏だ。そしてその筋肉質な身体を誇張するかのように、袖の短いピタっとしたTシャツの出で立ちが印象的だった。

リエは洸太の事も「大学からの友達で洸太君」と紹介し、洸太とリエの彼氏は、少し緊張した笑顔で挨拶と握手を交わした。

洸太の白く細めの腕と、リエの彼氏の陽に焼けた太い腕のギャップが、LEDの電灯の下で目を引き、握手の手を差しのべたのは洸太からだったが、手を握った後は、洸太の腕が、2~3回軽く上下に振り回されているようにも見えた。

私達は人ごみの中、リエと洸太のビールを2本買い、リエが仕事の関係者から貰えた指定観覧席に座った。

予定時間から変更なく花火が打ち上げられ始め、一つの花火があがる度に、会場からは歓声があがる。

4席与えられた指定席には、私とリエの彼氏が両端に座り、中に洸太とリエが座った。

リエは時々洸太に話しかけ、洸太も微笑みながら話しをしている。それでも、リエが彼氏と体を寄せ合い、楽しそうに会話をする度に、洸太の横顔が寂しく陰るように見えた。

私はその度に洸太の気分が紛れるように、少しオーバーなほど明るく話しかけた。

観客の熱気と潮風が吹く中、1時間弱の花火大会はあっという間に終了に近づいてきた。

これからフィナーレの大型花火が連続で打ち上げられようとしている時、私は洸太に話しかけようと横を向いた。

月の光が洸太の潤んだ瞳を照らしている。

まさか泣きそうになると思っていなかった私は少し焦り、そのまま洸太の横顔を見つめた。

フィナーレを飾る大型花火の打ち上げが始まり、弾ける花火の爆発音は心臓まで響き渡る。

ドーン、ドーンと連続して心臓を震わす爆発音とリンクして、洸太の瞳は潤いを増していった。そして次の花火が打ち上げられる時には、目から涙がこぼれ落ちてしまいそうに見えた。

私はとっさに洸太の腕に手を回した。

洸太はびっくりして私の顔を見ようとしたが、涙目を見られたくなかったのか、少しだけ顔をこちらに向け、目を合せないまま夜空を見上げた。

私と洸太が腕を組んでいるのを見たリエは、嬉しそうに私の方を向き、洸太の背中越しからウィンクした。

とりを飾る花火が一際大きな音で弾けて花火大会が終了すると、洸太は大きく息を吐き、リエへの想いを断ち切るかのように背筋を伸ばして私に微笑んだ。

私は気の利いた言葉が見つからず、微笑み返す事しか出来なかった。

帰り道、私達は以前リエと行った事がある無国籍料理の店で食事をする事にした。

リエの彼氏は私の気持ちをリエから聞いていたのであろう、時々私と洸太を見ながら、何故か余裕のある笑みを浮かべていた。

私はその笑みを見る度に、涙をこらえていた洸太の悲しい横顔を思い出し、相反するリエの彼氏の表情が腹立たしく感じた。

1時間ほどで店を出て、私達はそれぞれの帰路についた。

海沿いの国道は少しだけ渋滞し、ラジオからは季節柄か、スローなハワイアンが流れ続けている。

行き道より口数が少ない洸太は、黙って通り沿いの店を見つめ、時々無理した笑顔で話しかけてきた。

「マンションまで送って行くから」

私がそう言うと洸太は静かに微笑み「ありがとう」と言った。

叶わぬ想いに落ち込んでいる洸太の傍に、少しでも長く居たい気分だった。

海沿いの渋滞を抜けた後はどの道も順調に流れ、気の利いた言葉を掛けられないまま洸太のマンションに着いた。

エントランスに続く白いスロープは緩やかにカーブし、両サイドには手入れの行き届いた木々の葉が風になびいている。

そしてエントランスの左側には白い大きな噴水がライトに照らされてた。

私はスロープの手前に車を停め、「元気出しなね。また近い内に飲もうね」と声を掛けた。

洸太は「大丈夫だよ。俺もまた連絡するよ」といい、軽く手を上げて助手席を降り、スロープを歩いて行った。

私は車から降りてドアを開けたまま洸太の後姿を見つめた。

切なさを押し殺し、毅然と歩く後ろ姿を見ていたら、私の心の中に何か言い表せられない感情が高まった。

「洸太!待って!」

私は車のドアを閉め、洸太のもとへ駆け寄った。そしてそのまま両腕を洸太の首に回し顔を埋めた。

「どうしたんだよ?」

驚いた洸太は両手をそっと私の肩に置き、私の顔を覗き込んだ。

私はそのまま洸太にキスをした。

噴水の水音の中、私達は少しの間唇を重ね、私は首に回した手をほどいた。

「見送るから行って。またね。」

洸太はまだ少し動揺した様子のまま、「うん、ありがとう。またな。」と言って微笑んだ。

洸太の後姿がエントランスの奥に消えた時、私の一日だけの彼女役が終わった。

私はたった今二人が佇んだスロープを見ながら車に乗り込んだ。

国道に出る手前の信号で止まった瞬間、何故か急に涙がこみ上げてきた。

そして花火大会で、こぼれそうな涙を必死にこらえていた洸太の横顔を思い出した。

想いの違う二つの涙を感じた時、こみ上げた涙はとめどなく溢れだし、暫くの間、人目も憚らず私は泣いた。拭っても拭っても涙が頬に伝った。

車のウィンドゥから見える景色は全て涙でにじみ、ぼやけて映る国道沿いのネオンと、限りなく点在する信号機のライトが打ち上げられた花火の様ににじんで広がり、それはいつまでも途切れる事無くバックミラーの奥に流れて行った。

end

by_hearts