2016年7月18日月曜日

サイレント

真夏日が続いている平日、仕事を終えた僕は、海辺のレストランに彼女を誘い、待ち合わせをした。

一足先に着いた僕は、心地よくボサノバが流れる店内を抜け、外のテラスに座った。

昼間の暑さと変わり、砂浜の上にあるテラス席は、海からの風が程よく流れ、少し汗ばんだ体を冷ましてくれる。

8月に入り、夏休みだからだろうか、砂浜には10代と思われる何人かの男女が、花火を手にしながら楽しそうに戯れていた。

平日の今日、僕が急に彼女を誘ったのには理由があった。

付き合い始めて1年半が経つ彼女は、法律事務所に勤めながら弁護士を目指していた。

勤勉で実直な彼女は、日々の勉強と情報収集を怠らず、忙しい日々を送っている。

数名のスタッフを雇い、小さいながらも会社を経営している僕は、そんな彼女の目標を邪魔しないよう、そして何か力になれる事があれば協力してあげたい気持ちで、彼女と付き合ってきた。

そしてそれとは別にもう一つの思い、、それは一生のパートナーとして、彼女と家庭を築きたい思いだった。

でも、彼女の夢と目標を判っている僕は、そんな自分の気持ちを少しでも感じられてしまう事に臆病になっていた。「彼女の一番の望みは、僕と結婚する事では無く、弁護士になる事なんだ。。」僕はずっと自分にそう言い聞かせてきた。

結婚しても彼女には今まで通り、夢を叶える為の生活を続けて欲しい。「そんな簡単に上手くいくはずがない」と言われるかもしれないし、僕の素直な気持ちを知ったら、彼女は僕から離れて行くかも知れない。でも自分の素直な気持ちを告げたくて、僕は今日彼女を誘った。

僕は彼女が着く前に、覚悟が揺らがないように、ポケットからリングケースを出して蓋を開けた。テラスの端にある薄いオレンジ色の電球と月の光がダイヤを照らしている。

僕がリングケースをポケットに戻してから数分後に彼女が着いた。

ベージュのパンツスーツに身を包んだ彼女は、テラス席の僕を見つけると、急いで席に着き「ごめんね、待たせちゃって」と言った。

綺麗な黒髪をかきあげながら優しく微笑む彼女のバッグは、チャックが最後まで閉まらないほど色々な資料や書籍が入っていて、それは僕の急な誘いに、急いで仕事を終わらせて駆けつけてくれた事を物語っていた。

僕は彼女と結婚したいと思い始めてから、仕事帰りのデートの時、いつもバッグに入っているたくさんの本や資料を見る度に、自分の気持ちを胸の奥にしまっていた。彼女は服や持ち物のセンスがよく、仕事用のバッグもいくつか持っていたが、どのバッグも形が崩れる程、いつもたくさんの資料が入っていた。

ウェイターに注文を終え、僕たちはお互いの今日一日の事を話した。

彼女は砂浜ではしゃぐ若者達を見ながら、「あの子達楽しそうだね」と優しい眼差しで言った。

僕達が食事をしている間、穏やかに打ち寄せる波の音と、店内から聞こえてくるボサノバが、二人の時間を優しく包み、そして時々聞こえてくる若者達の笑い声が、何故か今日は心地よかった。

食事を終え、二人でレモンティーを飲んでいると、風のざわつきと共に、どこからかプルメリアの花びらが僕達のテーブルに舞い落ちてきた。

「わぁー、可愛い。綺麗な花。。」

彼女はそう言うと、その花びらを僕と彼女の間に置き、人差し指で優しく触れて微笑んでいる。

そんな彼女を見ながら、僕は一つ大きく息を吸い、ポケットの中のリングケースをつかみ、その手をテーブルの下の足の上に置いた。

僕は意を決して言った。

「あのさ、聞いて貰い、、」

僕がそう言いかけた時、ザパーンと今迄より大きな波の音と、若者達が打ち上げた打ち上げ花火のヒューと言う音が僕の言葉をかき消した。

彼女は夜空を見上げ、パーンと弾けた花火を見つめた。

花火から視線を戻した彼女は、僕が何か言いかけたのかと思い、微笑みながら僕の顔を見つめた。

僕はもう一度仕切り直すか迷い、彼女が風で動いたプルメリアの花びらをそっとつかみ、テーブルの真ん中にもどしているのを見つめたまま、少しの間黙ってしまった。

その時ウォーターグラスの氷がカチャっと音をたて少し沈んだ。

「いいさ、また次の機会にしよう。。」

僕は胸の中でつぶやき、手にしたリングケースを静かにポケットの奥にしまった。

二人で砂浜に目を移すと、波は静けさを取り戻し、波打ち際で砕けた白い泡が、月の光に優しく照らされていた。

end

by_hearts